ルールを増やすほど、AIの文章は面白くなくなるのか
AIを使って文章を書くためのルールを、かなり増やしてきた。
・読者を下に置かない
・自分だけを正解側に置かない
・事実と解釈を分ける
・守秘に気をつける
・AIらしい決め台詞を避ける
・一つの経験を、すぐ一般論にしない
どれも、過去に実際に書いていて引っかかったことから作ったルールだ。
ルールを文章にしてAIへ渡すと、確かに事故は減った。以前なら後から直していたような表現が、初稿の段階から出にくくなる。毎回同じ注意をしなくても、最低限外したくないところは守られやすい。
だから最初は、ルールを増やすことが、そのまま品質を上げることだと思っていた。
ところが、しばらく運用していると別の違和感が出てきた。
文章としては整っている。でも、自分が最初に「ここが気になる」と思った部分が薄くなることがある。
間違ってはいない。でも、何かが残らない
論理は通っている。極端な断定も少ない。読者への上から目線も抑えられている。公開前に直す箇所も減っている。
それでも読み返したときに、「自分は何に引っかかって、これを書こうと思ったのだろう」と探し直すような稿があった。
これは、自分にとって少し困る。
私はこのコラムを、誰かへ正解を教えるためだけに書いているわけではない。読み手の中には、公開後に読み返す自分自身もいる。
書く前にはうまく言葉にできなかった違和感が、書くことで少し違って見える。考えていたことが変わることもある。それが自分にとっても一つの学びになる。
読者にも、完成した結論だけではなく、その過程から何か一つ持ち帰れるものがあればいい。
そう考えると、「間違いが少ない」だけでは、コラムの品質として足りない。
そこで最近、文章そのものより、作り方を見直している。
発散する段階で、すでに絞っていた
この状況を考えていて、デザインや問題解決のプロセスで使われる「発散と収束」という考え方を思い出した。
最初から一つに絞らず、いったん観察や選択肢を広げる。その後で、条件に照らして絞っていく。
文章を書くこととデザインのプロセスが同じだと言いたいわけではない。ただ、自分の制作工程を振り返る補助線としては、しっくりきた。
初稿で本当にやりたいことは、発散に近い。
何に引っかかったのか。
なぜ気になったのか。
最初に考えていたことと、書きながら見えてきたことは違わないか。
一見すると脇道に見える部分に、むしろ記事の核がないか。
ところが私は、その段階からAIにたくさんの品質基準を渡していた。
論理飛躍をするな。一般化するな。断定するな。説明しすぎるな。AIらしく書くな。
これらは公開前のチェックとしては必要だ。
でも、まだ何が面白いのかも分かっていない段階から効かせると、文章はかなり早い段階で「安全な形」に収束する。
問題は、ルールの数ではなかったのかもしれない。
発散すべき段階に、収束のためのルールを持ち込んでいた。
そう考えると、自分が感じていた違和感を少し説明できる。
ルールを減らしたのではなく、後ろへ動かした
いまの制作工程では、ルールそのものを捨ててはいない。
守秘や事実誤認、読者への上から目線など、公開する以上は確認したい基準は残している。
変えたのは、効かせるタイミングだ。
最初の段階では、「何が面白いのか」を探すことを優先する。
初稿では多少の荒さを許す。まだ説明し切れていない部分や、少し言い過ぎているところも、すぐには消さない。書いている途中で当初の中心命題より面白いものが見つかったら、そちらを残す。
その後でレッドチームをかける。
(参考記事:「AIに原稿を批評させて、自分の論理の飛躍に気づいた」)
論理が飛んでいないか。
一つの経験を広げすぎていないか。
守秘上まずいところはないか。
事実と解釈が混ざっていないか。
ここで初めて強く絞る。
品質管理を弱くしたわけではない。発散する工程と、公開に耐える形へ収束させる工程を分けた。
この方法が最適なのかは、まだ分からない。今のところ、自分の文章ではこちらの方が、最初にあった違和感や観察を残しやすいと感じている。
AIだから起きたことなのか
一つ留保もある。
この問題は、AI特有ではないかもしれない。
人間が自分で文章を書く場合でも、「こんなことを書いたら変に見える」「論理が通っていない」「結論が弱い」と考えながら書けば、最初から自分で自分を編集してしまう。
AIは、その収束を速くしただけなのかもしれない。
細かいルールを渡せば、AIはかなり早い段階から文章を整える。だからこそ、自分ではまだ捨てるつもりのなかったものまで、先に消してしまうことがある。
以前は、「良いルールを作れば、公開に耐える文章を安定して作れる」と考えていた。
いまは、それだけでは足りないと思っている。
公開に耐える形へ整えることと、そもそも何を書く意味があるのかを見つけることは、別の仕事らしい。
後から読み返す自分も読者の一人だと考えるなら、間違いが少ないだけでなく、「当時、自分は何に引っかかっていたのか」が残っている方がいい。
今後またルールを増やしたくなったときは、「このルールは何を防ぐためのものか」だけでなく、「どの工程で効かせるものなのか」も考える必要がありそうだ。
次回予告
次回は少しAIから離れて、自分のキャリアについて書こうと思っています。
大学では生物学を学び、科学者を志していました。結局、研究職には進まなかったのですが、最近『キャリア・アンカー』を読みながら振り返っていると、仕事の選び方や問題への向き合い方には、当時から変わっていないものがあるように感じました。
専門から離れても、その分野で身についた「考え方」は残り続けるのか。そこを考えてみます。

