定例資料は「使っていますか」と聞くだけでは減らせない
毎月作っている報告資料を減らしたいと思ったことがある。引き継いだばかりの資料で、作るのに時間がかかる割に、何に使われているのかがよく分からなかった。そこで配信先に聞いてみた。「この資料、使っていますか」。返ってきたのは「使っています」だった。私はそこで止まった。
一部だけ使われている資料は、止められない
その返事は間違っていなかった。実際に使われていた。ただし、使われていたのは資料の一部だった。
こちらが毎月時間をかけて集計している項目のうち、相手が実際に見ているのは数か所で、残りは目を通されないまま次の月を迎えていた。集めるのに一番手間がかかっていた項目が、使われていない側に入っていることもあった。
見直しが難しかったのは、まったく使われていない資料より、こうして一部だけ使われている資料だった。一部でも使われている以上、資料全体を止めるという話にはならない。かといって、そのままにしておけば、使われない項目のための作業だけが毎月続く。
その資料は、目的があって作られていた
フォーマットを見ると、雑に作られたものではなかった。作られた当時、ある役職者が判断に必要な情報を集めるために、配信先と協議して項目を決めていた。当時の目的には沿った資料だったのだと思う。
その後、役職者が交代した。上長へ報告する内容も変わった。新しい役職者は、届く資料の中から自分の報告に必要な部分を使うようになった。それ自体は自然なことだ。ただ、資料の側は変わらなかった。報告する内容が変わったときに、その資料をどうするかを話し合う機会が、どこにも設定されていなかった。
聞き方ではなく、判断に使う材料を変えた
自己申告を判断材料にしている限り、私の側では何も動かせなかった。「使っていますか」と聞けば「使っています」と返る。その返事は正しいので、そこから先へ進む材料がない。
そこで、聞き方を工夫するのをやめて、判断に使う材料の方を変えた。
まず、実際に使っている資料を見せてもらった。相手の手元にあるファイルを開いてもらい、どの箇所を使っているかを指してもらう。次に、その数字が次にどこへ行くかを聞いた。使われている数字は、別の資料へ転記され、その先の報告に使われていることもあった。ただ、転記先があること自体は、必要性の証明にはならない。転記先も同じように残っているだけかもしれないからだ。だから、その先で何の判断や確認に使われているのかまで確認した。
あわせて、他の資料で代わりにならないかを、配信先と一緒に見た。自部署の資料だけでなく、他部署から出ている資料も並べて突き合わせる。同じ数字が別の経路でも届いていることがある。
そして、報告を求めている側にも聞いた。なぜその情報が必要なのか。何を見ているのか。ここまで確認して、ようやく項目ごとに、残すか変えるかを話せる状態になった。
減らしたのは、資料ではなく加工だった
資料という単位で「要る/要らない」を判断しようとしていたときは、動かせなかった。使われている情報、そのための加工、その情報の行き先を分けて見ると、止められるのは資料ではなく、使われていない加工の方だった。
「なくしても困らない」と確認できるまでは、残したいという判断になるのも自然だった。他部署から出ている資料で足りると分かった項目は、見直しにつながった。逆に、代わりが見つからない項目は残した。資料全体を止めなくても、切り口だけを変えたり、頻度を落としたりできる項目もあった。
すべてを減らせたわけではない。確認した結果、やはり必要だと分かった項目もある。
減らした後で、困ったこともある
加工は止めたが、元になるデータの取得は残した。後から遡れなくなるのは避けたかったからだ。
これは結果的に助かった。しばらくして、複数年の推移を見たいという話が出たとき、残っていたデータからまとめて作り直すことができた。もし取得ごと止めていたら、その期間は復元できなかった。
ただし、そのときの作業は重かった。毎月の加工を止めたことで平時の作業は減っていたが、必要になった時点で負荷が一度に集中した。毎月続けた場合と、後からまとめて作った場合とで、累計の時間がどちらが少なかったのかは測っていない。
当時の私には、小さな作業に見えていた
振り返ると、当時の私にとって、これは小さな作業だった。
毎月30分か1時間で作れる。去年も作っている。誰かが使っている。止めるには配信先に確認して、上司に説明して、手順を変えて、後から必要になったときには理由を説明しなければならない。そこまでやるより、そのまま作る方が早い場合もあった。
実際に整理できたのも、自分が引き継いだ範囲だけだった。他の部署の間でやりとりされている資料は、そもそも目に入らない。見えていないものは、見直しの対象に上がらない。
今、同じ作業を見ると
経営側に立って同じ作業を見ると、見え方が変わる。
30分は、30分ではなくなる。仮に毎月30分の作業だとすれば、年に6時間になる。同じような資料を複数の人が抱えていれば、その分だけ時間が増える。それが何年も続いている。一つずつ見れば合理的な継続でも、積み上げたときにも合理的だとは限らない。
当時の判断が間違っていたとは思わない。あの立場で、あの時間の中で、そのまま作るという選択には理由があった。
定例にする前に、一度自分でやってみる
今の私は、新しい定例報告を頼む前に、自分で何回か出力してみることにしている。
一度作ってみれば、その作業に何分かかるかが分かる。データを探す時間、形を整える時間、確認する時間。そのうえで、継続して出してもらう必要があるかを決める。会議も同じで、重い定例を並べるより、週次の進捗確認程度に留めている。
こうしているのは、私が作る側にいたからだ。いったん定例化した仕事を見直すには、配信先に確認し、代わりを探し、手順を変え、関係者に説明する必要がある。その手間を実際に自分で経験したので、定例化する前に作業量を確かめるようになった。
それでも、すでに動いている仕事は減らない
ただ、これは新しく始める仕事の話でしかない。すでに動いている仕事は、気をつけていても減らない。
人が足りない、忙しいという状態に対しては、採用や外注や自動化を考えることがある。ただその前に、いま動いている仕事はすべてまだ必要なのか、という問いは残る。業務量は、新しい仕事を足したときだけ増えるのではない。役割を終えた仕事をやめられなかったときにも増えていく。要否を確認しないまま自動化すれば、使われていない加工を安く維持し続けることにもなる。
とはいえ、定期的に作ること自体に意味がある資料もある。異常に気づく、時系列を切らさないといった用途は、毎回読まれているかどうかとは別に成立する。だから、私がやったのは、やめるためではなく、何を残すかを言えるようにするためだった。
資料は、目的があって始まる。関係者が集まって、何が必要かを話し合って決める。私が見直そうとした資料も、そうやって始まったものだった。決まっていなかったのは、いつ、誰が「まだ必要か」を確認するのか、ということだった。


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