「負けないため」の判断が、経営の決定打を鈍らせる ── 守りと攻めの構造

ありものリンク合同会社、業務執行社員CFOの中島健陽です。

先週は、借入の話をしました。下振れに耐える土台を厚く持て、慎重であれ、と。今週は、その同じ慎重さの裏側です。慎重さは、行き過ぎると人を動けなくする。

私は学生の頃から、ずっと卓球を続けています。よくある苦い場面。競り合った試合の終盤で決めにいける球、でも「ここで強打を外したら一気に流れを持っていかれる」と頭をよぎり、つい安全につなぎにいった。主導権は相手に渡り、そのまま落とした。打って外す悔しさより、打たずに渡した後悔のほうが、ずっと長く尾を引きます。あの感覚とまったく同じものを、私は経営の現場で何度も見てきました。

「負けないため」の構えと、「勝ちにいく」構えは別物

人は、得る喜びより、失う痛みを大きく感じます。同じ1万円でも、拾った嬉しさより落とした悔しさのほうが重い。行動経済学のカーネマンとトヴェルスキーは、その重さの差をおよそ2倍と見積もりました。損失回避と呼ばれる、判断の癖です。

この癖が厄介なのは、放っておくと守りが自然に過剰へ振れること。攻めの一手は「うまくいけば得られるもの」ですが、損失回避の脳には「失敗したら失うもの」のほうが大きく映る。だから、打つべき球の前で手が縮む。卓球の私と、まったく同じ構造です。

いま、その手が最も縮みやすいのが「値上げ」

これは精神論ではありません。足元の状況が、それを迫っています。2026年初からの中東情勢の緊迫で原油が急騰し、エネルギーと原材料のコストが上がり続けている。国(中小企業庁)でさえ、業界団体に対して「コスト上昇分は適切に価格へ転嫁してよい」と、くり返し背中を押している局面です。

それでも、多くの経営者が値上げに踏み切れない。理由を聞くと、決まって「客が離れたら」と返ってきます。

ここに損失回避がそのまま効いています。値上げで得られる利益(得る喜び)より、失うかもしれない客(失う痛み)のほうが、2倍重く見える。だから、コストだけが上がり続けても、価格は据え置く。これは慎重なのではなく、天秤の片側しか見ていない、という状態です。

守りと攻めを切り替える、たった一つの問い

縮んだ手を伸ばすのに、複雑な意思決定論は要りません。天秤に「見えないほうの重り」を、一つ載せるだけ。

経営者が見落とすのは、いつも「打たなかったことのコスト」です。値上げで失うかもしれない客は、顔が見える。痛い。一方、値上げをしないことで毎月静かに削られていく利益は、伝票にも顔にも出てこない。だから軽く見える。でもCFOの目で並べれば、後者のほうが確実に効いてきます。

私は本業の経営企画で、投資計画のレビューを年に何十件と見ます。通る計画と却下される計画を分けるのも、多くはこの一点。「やる場合のリスク」だけを精緻に書き、「やらない場合に失うもの」を一行も書いていない計画は、たいてい守りに偏っている。

先週、「見えない下振れ」を見ろと書きました。今週はその裏返し。「見えない機会損失」を、客が離れる痛みと同じ秤に載せられているか。

結論:その「様子見」は、守っているのか、目をそらしているのか

守りと攻めは、相反しません。第6回で説いた土台(守り)があるからこそ、攻めの一手を打っても倒れない。本当の問題は、土台はもう十分にあるのに、まだ守りの構えのまま動けないときです。

卓球のあの場面で私が学んだのは、打って外す失点と、打たずに渡す失点は、同じ1点でも質が違うということ。前者は次の一本に活きる。後者は、何も残らない。

「様子見」と呼んでいるその判断は、守っているのか、それとも、見えない痛みから目をそらしているだけなのか。

値上げでも、新規投資でも、撤退でもいい。いま先送りにしている一手について、「やらない場合に毎月失っているもの」を、一度はっきり数字にしてみてください。その額が、客が離れる痛みより重いとしたら――あなたが今しているのは、守りではなく、ただの先送りです。

その「打たない損失」を、あなたは数字にしたことがありますか?


来週は、私が本業で「この事業計画は無理だ」と判断するときの、たった一つの共通点を書きます。今日の「やらない損失を、ちゃんと書けているか」という話とも、実は地続きです。

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