進化に「目的」はない──10ヶ年計画と、生物学のあいだ

こんにちは、中島です。

先週は読書ノートで、現場の直感を、組織が検討できる仮説に書き直す姿勢の話を書いた。「もし本当にそうなら、ここで何が起きるはずか」「どの前提が外れたら、この計画は成り立たなくなるか」を脇に置いておく、という話。

今週はラボCFO。もう一段引いた地点から、長期事業計画というもの自体を考えてみたい。生物の進化には、未来の完成形を見越した目標がない、というところを起点に。

進化には、未来を見越した設計目標がない

進化生物学の根の前提を一つだけ確認しておきたい。進化には「未来の完成形を見越した目標」がない、ということ。

ここでよくある誤解を一つ外しておく。「目的がない」とは、進化が無方向・無秩序という意味ではない。各時点の環境のもとで、生存や繁殖につながる個体差は次の世代に多く残る。その積み重ねの結果、種は環境にある程度フィットした姿で残っていく。ただし、その方向は「未来を予測してそこへ向かう」設計ではなく、「いま手元にあるバリエーションのうち、その時点の環境で結果的に残るものが残った」という構造で生じている。

教科書的な例として、キリンの長い首がある。長らく「高い葉を食べたかったから首を伸ばした」というイメージで語られてきたが、現代の進化生物学はそういう順序を取らない。遺伝する個体差があり、その差が生存や繁殖の成功率に影響し、世代を通じて蓄積する。これが基本構造になる。長い首の進化要因についても、採食上の優位だけでなく、食物競争、乾季への対応、オス同士の闘争に伴う性選択など、複数の仮説が提案され、いまも研究が続いている。どの仮説が唯一の正解かを決める必要はない。ここで持ち帰りたいのは、「目指す形があって、そこへ向かって努力した」という順序ではない、ということだけ。

形質の縮小も同じ枠で説明される。洞窟に長く棲んだ魚の中には、眼が小さくなったり機能を失ったりした系統がある。これは「見ない方がよかったから退化した」というほど単純な話ではない。光のない環境では視覚を維持する仕組みへの選択が弱まり、変異が淘汰されにくくなる。眼を維持する代謝コストの軽減が有利になっていた可能性も議論されている。さらに、嗅覚や側線など他の感覚への投資との関係、隔離された小集団で偶然変異の頻度が変わる遺伝的浮動、発生過程の変化など、複数の仕組みが絡み合って起きていると考えられている。

退化という言葉は、「劣化」や「進化の逆行」というニュアンスを呼びがちだが、ここではそうではない。進化は前進でも後退でもない。そのときの環境のもとで結果として残ったものが残っている、という構造をしている。自然選択以外にも、遺伝的浮動、発生上の制約、性選択など、複数の力が同時に働いている。

では、なぜ会社は10ヶ年計画を作るのか

ここで経営の現場に降りる。

中期経営計画、5ヶ年計画、10ヶ年ビジョン。多くの会社が長期計画を持っている。中小企業でも、銀行から「中期計画を出してください」と求められた経験のある経営者は多いはず。

ただ、長期計画が「将来をピンポイントで当てる予測」だとすると、過去30年でそれが当たった会社はほとんどない。為替も金利も技術も需要構造も、10年前に書いた計画通りには動かない。リーマン・ショック、東日本大震災、新型コロナ、生成AIの普及——どれも数年で根本前提を書き換える出来事だった。

それなのに長期計画が書かれ続けているのは、長期計画の機能が「将来予測」ではないから。

長期計画の本来の機能は二つあると、私は考えている。一つは、株主・銀行・社員・取引先に対する「現時点で経営者が世界をどう見ているか」の合意形成。もう一つは、設備投資・人材採用・研究開発など、リードタイムの長い意思決定をするための現時点での資源配分の根拠。

長期計画は、未来を当てるための文書ではなく、いまの会社の意思決定を整理するための文書として機能している。ここを取り違えると、後で大きな問題が起きる。

環境は、線形には動かない

地球の歴史を眺めると、漸進的な変化だけで連続しているわけではない。長い時間のなかには、生態系が短い期間で大きく組み替わるような出来事が、何度か挟まっている。

象徴的なのが、約6,600万年前のK-Pg境界。直径10〜15キロ前後の小惑星が、いまのメキシコ・ユカタン半島付近に衝突したことが、大量絶滅の主因として広く考えられている。インドのデカントラップに見られる大規模な火山活動が果たした役割など、複合要因についての議論もいまも続いている。いずれにせよ、この前後で、鳥類を除く非鳥類型恐竜が姿を消した。鳥類は恐竜の一系統で、現在も生き残っているグループになる。

それまで多様化していた哺乳類の中で、いくつかの系統がその後の生態的地位の空白に広がり、新たな多様化を経て、いまの哺乳類の主要なグループが現れていく。「夜行性の小動物が一気に主役になった」というほど単純な物語に押し込めるのは正確ではない。それでも、6,600万年前のあの出来事が、その後の生命史の組み替えの大きな分岐点になったとは言える。

経営の世界も、形は違うが、長い安定期と、数年で前提が書き換わる急変期が交互に来る、というパターン自体は似ている。問題は、急変期の到来を事前に正確に予測することが、人間の認知能力では実質的に不可能だということ。

長期計画書の中に「2030年に隕石が落ちる」と書ける経営者はいない。生成AIが事業の前提をどう書き換えるかについても、2022年末以前にそれを線形予測の中に組み込んでいた会社はほとんどなかった。

線形に動かない環境の中で、線形の長期計画を書く——この構造的なズレを、まず正面から受け止める必要がある。

経営は進化そのものではない、という前置き

ここで一度、慎重に線を引いておきたい。生物進化の話から、経営の処方箋を直接導き出すことはできない。両者には次のような根本的な違いがある。

企業には意思決定主体がいる。目的を設定できるし、不完全ながら将来を予測して、意図的に資源を配分できる。事業を終了させたり、追加投資をしたりという判断を内部で選べる。同じ組織のまま学習し、方針転換できる。市場や制度や顧客の行動に働きかけることもできる。生物進化でいう世代交代や遺伝と、企業内の学習や意思決定とは、同じ仕組みではない。

それでも進化の話を借りる意味があるとすれば、「未来を見通して完成形へ直進する」という発想ではなく、「不確実な環境に対して、複数の試行と、選択と、継承と、転用を組み込む」という設計原則の方。ここから先は、その姿勢で読んでほしい。

進化が手にしてきた、四つの仕組み

進化が長い時間をかけて結果的に手にしてきた仕組みを、計画書側に翻訳しやすい形で四つに整理してみる。

一つ目は、変異・試行。集団の中に多様な個体差がなければ、環境が変わったときに残れる選択肢はない。企業に置き換えれば、小さな仮説検証、試作品、新規チャネル、技術探索など、損失上限の見える形での試行を複数持っておくこと。

二つ目は、選択。すべてを残すのではなく、得られた証拠に応じて投資の濃淡をつける。生物では各時点の環境がそれを担っているが、企業では経営者と経営企画が、撤退条件と追加投資条件をあらかじめ置いておくことで、それを担う。ここに、生物進化との大きな違いがある。生物は将来必要になる変異を意図的に設計できないが、企業は意思決定主体として、試行を選ぶことも、止めることもできる。

三つ目は、継承・増幅。生物進化では、有利な形質が遺伝として次の世代に引き継がれなければ、進化として蓄積しない。企業では、一度の成功を、属人的な勘で終わらせず、標準、プロセス、データ、教育、組織能力として再現できる形に落とし込むこと。ここは生物進化との類比が一番粗くなる部分で、世代交代を経ずに同じ組織のまま学習できる点が、生物にはない企業側の能力になる。

四つ目は、転用・再結合。これがexaptationという概念に近い。鳥の羽毛は、最初から飛ぶために生まれたわけではないと考えられている。保温、ディスプレイ、カモフラージュなど、複数の初期機能が候補として議論されており、その既存の構造が、後の系統の中で空気力学的な機能でも利用されるようになった、という枠で捉えられている。一本道の物語として書ける段階ではない。

企業に置き換えれば、いまある技術、設備、人材、顧客基盤、ブランドが、当初想定していなかった用途で価値を持つことがある、ということ。ただしこれは、「意図的に転用先を探す」という、生物にはない人間側の能動性が大きく入る点に注意したい。

ここで一つ、注意点を加えておく。「複数の試行を持つべき」と書くと、すぐに「多角化・多事業化が善」と読まれかねない。それは違う。多様な試行には、資源の分散、管理負荷、意思決定の複雑化、不採算事業の温存、撤退の遅れといったコストがついて回る。「とにかく多く持つ」ではなく、損失上限と撤退条件、追加投資条件をセットにした、限定的な試行を複数置く——これが、進化から借りるべき設計原則に近い。

それから生物の側も、ただ環境に選ばれるのを待っているわけではない。生息場所を選び、移動し、行動を変え、巣や巣穴を作り、共生関係を結ぶことで、自分たちにかかる選択圧そのものを変えてきた。一方的に「環境に選ばれる」だけの存在ではない。ただし、将来必要になる遺伝的変異を意図的に設計できるわけではない、という非対称はある。この非対称こそが、経営との大きな違いになる。

経営に持ち帰る——目的・戦略・計画を、更新周期で分ける

ここで実務に降ろす。

長期計画が機能不全に陥る最大の原因は、「目的(パーパス)」「戦略」「計画(具体的な数値)」が、同じ周期で書かれ、同じ周期で見直され、同じ重さで扱われていることだと思っている。三者が一枚岩になっていると、環境が変わったときに「全部を維持する」か「全部を捨てる」かの二択になってしまう。

これを、更新頻度と検証周期の違う三層として持ち直してみる。

目的(why)は、何のためにこの会社は存在するのか、誰のどんな状態に貢献したいのか。動かす頻度はかなり低い。簡単には動かさないことに価値があるが、社会的役割や顧客の課題そのものが根本から変わったときには、再検討の対象にはなり得る。

戦略(how)は、目的を達成するために、どの市場で、どんな手段で勝とうとしているのか。環境変化や競争条件に応じて、年単位で書き換える前提で持っておく。

計画(what)は、戦略を実行するための、具体的な数値・スケジュール・リソース配分。予実や新しい情報に応じて、四半期や半期で見直す。

ホメオスタシスの回と合わせて読むと、もう少し立体的に見える。日々の予実差異から月次で修正をかけるのがホメオスタシス、環境変化を予測して設定値そのものを書き換えるのがアロスタシス、という整理を書いた。今回の「目的・戦略・計画」の三層は、その書き換えを、どの粒度で、どの周期で、何に対して行うのか、を整理し直しているとも言える。

進化に未来の完成形がないことは、企業が目的を持ってはいけないということではない。むしろ逆で、簡単には動かさない目的を持っているからこそ、戦略と計画は環境に応じて書き換えられる、というほうが近い。三層の更新周期がきちんと分かれていれば、目的を守りながら、戦略を組み替え、計画を更新する、という動き方が可能になる。

CFO・経営企画は、計画書の番人ではない

最後に、自分の役割の話。

経営企画やCFOの仕事を「中期計画を作り、その達成を守る人」と捉えると、環境が前提を書き換えた瞬間に、組織の動きが止まる。番人として計画書の数字を守れば守るほど、組織は変化に応答できなくなる。

先週の読書ノートで、自分の役割を「説得屋ではない」と書いた。今週はもう一つ書き足しておきたい。計画書の番人でもない。

長期計画は「現時点での最適仮説」。前提が外れたら、書き直す。撤退条件と追加投資条件は、計画を作るときに、計画書の中に先に置いておく。先週の言葉で言えば、直感を仮説に書き直すのと同じ姿勢で、仮説を環境に合わせて書き直し続ける。これが、計画書という文書のいちばん健全な使い方だと思っている。

10ヶ年計画は、10年後の正解を書く文書ではない。いまの会社の意思決定を整理し、書き直す前提で持っておく文書。そう捉え直すと、計画を作る作業そのものの意味も変わってくる。

結び

経営者の方への問いを一つだけ。

あなたの会社の長期計画は、目的・戦略・計画が、それぞれ違う更新周期で扱われているか。全部が同じ重さで一枚岩になっていないか。

更新周期が分かれていないと、環境が動いたときに会社全体が動けなくなる。三層が分かれていると、目的はそのままに、戦略と計画は別の周期で書き直せる。

進化には、未来の完成形を見越した目標がない。けれど、企業には目的があっていい。守るものと、書き直すものを、別の周期で扱う——その整理が、長期計画を生きた文書に変える。


【来週予告】 来週は経営者からの一問。「うちは家族経営だから経営企画なんて要らない」と言う社長と、もし壁打ちで向き合うとしたら、どこから話を始めるか、を書きます。

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