直感を、鳥が答えられる形へ──鈴木俊貴『僕には鳥の言葉がわかる』を経営の現場から読む

こんにちは、ありものリンク合同会社 業務執行社員CFOの中島健陽です。

今回は鈴木俊貴さんの『僕には鳥の言葉がわかる』を取り上げる。

読み終えて自分の中に残ったのは、「シジュウカラに言葉があった」という事実そのものよりも、長年フィールドに立ち続けた人にだけ見えていたものを、他者が検討できる形へ変えていく仕事ぶりだった。

ここに経営や新規事業の現場と重なるところがあると感じている。今回はまず研究そのものを正面から書いて、その後でゆっくり経営に降りていきたい。

「分かる」と「示せる」の間にある距離

動物のコミュニケーションが、ただの情動表現ではなさそうだ、という話自体は鈴木さんが最初ではない。1980年には、アフリカのベルベットモンキーが捕食者に応じて異なる警戒声を出し、その録音を聞いた仲間も、ヒョウ、ワシ、ヘビに応じた異なる逃避行動を取ることが報告されている。動物の声に「対象を指す」働きがあり得るという見方は、ここから少しずつ広がってきた。

鈴木さんが取り組んだのは、シジュウカラという身近な小鳥を相手に、その関係を野外で一段精緻に確かめていく作業だった。長く森に張り込み続けるなかで、鳴き声の種類と使い分けが少しずつ見えてくる。「ジャージャー」はヘビが出たときに聞こえる。「ピーツピ」は別の警戒の声。仲間を呼び寄せる場面では別の声が混じる。

ここまでなら、観察者の経験談として「そう聞こえる」と語って終わるところ。鈴木さんが踏み出したのは、自分の耳に聞こえたことを、鳥自身が行動で答えられる実験へ組み替えていく作業だった。

印象に残った三つの実験

本書から、印象に残った実験を三つだけ紹介したい。

ひとつ目は「ジャージャー」と小枝を組み合わせる実験。森にスピーカーを置き、ヘビが出たときの警戒声である「ジャージャー」を再生する。その状態で、木の幹に沿ってヘビのように動く小枝を見せると、鳥はその小枝に近づいて確かめる行動を示した。別の鳴き声を流したときや、同じ小枝をヘビらしくない動かし方で見せたときには、同じ反応が起きにくかった、と書かれている。

ここから読み取れるのは、鳴き声によって、鳥の中にヘビを探すための視覚的な探索像のようなものが呼び起こされた可能性。少なくとも、声を聞くことで、ヘビらしく動く物体への注意の向け方が変わっている。鳴き声を聞き分けるだけでなく、声が呼び起こす対象まで実験で押さえにいく、その仕事の手触り。

ふたつ目は、鳴き声を「並べ替える」実験。仲間と一緒に何かを警戒し集まりにいくときに使われるとされる「ピーツピ・ヂヂヂヂ」という連続音がある。これを自然な順序で流すと、鳥は警戒しながら音源に集まってくる。順序を逆にして「ヂヂヂヂ・ピーツピ」にすると、反応はあきらかに弱くなる。

同じ二つの声であっても、自然な順序でなければ、二つの情報を組み合わせた反応が生じにくい。鳥が声の種類だけでなく、その並び順も使って情報を読み取っている可能性が示された。

三つ目は、これは少し地味だが私にはいちばん効いた実験で、「一つのスピーカーか、二つのスピーカーか」を比べる試み。同じ二つの声を、ひとつのスピーカーから連続で流す場合と、二つのスピーカーから別々の方向で流す場合とで、鳥の反応の出方が違ってくる。同じ音の素材であっても、別々の方向から聞こえてくると、一つの発話としてまとめて処理されにくくなる可能性が示された。声がただ「並んでいる」のと、「ひとつながりに発せられている」のとを、鳥は区別している可能性がある。

何を排除しようとした実験なのか

これらの実験で大事なのは、「シジュウカラはやはり賢かった」という結論ではなく、それぞれの実験がどの別解釈を狭めようとしているか、にある。

小枝の実験は、「ジャージャー」がただの興奮の伝染ではなく、声を聞いた鳥の中に対象を探す注意の向きを生んでいる可能性まで踏み込もうとした設計。順序を逆にする実験は、二種類の声がそれぞれ単独で持つ意味の足し算ではなく、並びそのものが情報を運んでいる、という解釈の余地を残すための仕掛け。一音源と二音源の比較は、同時に聞こえているだけのものと、ひとまとまりに発せられたものとを区別するためのもの。

ひとつの実験で何かが「証明される」わけではない。「偶然そう動いただけかもしれない」「個体差かもしれない」「別の刺激に反応したのかもしれない」という別解釈を、別の実験を重ねながら、少しずつ削っていく。地道に積み上げられているのは、結論というよりも「その結論以外の説明が成り立ちにくくなっていく状況」だ、というほうが近い。

留保と、それでも動いたもの

本書を読んで、鈴木さんが慎重に言葉を扱っていることに気付かされる。シジュウカラに「人間と同じ言語」があると主張しているわけではない。語順、文法、心的イメージといった言葉は、人間言語に通じる一部の認知機能が別の動物にも存在しうる、という示唆として置かれている。

それでも、「鳥は感情で鳴いているだけ」という素朴な前提のままでは説明しにくい振る舞いがある、ということは、複数の実験から繰り返し示されている。

「自分には見えている」を、「他者が検討できる証拠」に変える。その地味な積み重ねが、ものの見方の輪郭を少しずつ動かしていく。これが本書の本筋だと、私は受け取った。

経営の現場で、直感と仮説のあいだに

ここからゆっくり経営の話に降りる。科学と経営が同じ営みでないことは、後で改めて書きたい。それでも本書から、経営の現場にも重なるところがある姿勢が、一つだけある。

私が新規事業や投資の現場で日々ぶつかるのは、「現場で長く仕事をしてきた人の予感」と「資料に載せられる根拠」のあいだに、いつも距離があるということ。

私自身、若い頃は営業をしていた。担当先に足繁く通っていると、応対の温度や言葉の選び方、ふとした表情に、いつもとどこか違うものを感じ取れる瞬間がある。受注の流れに乗っているとき、逆にどこかでこじれ始めているとき。データになる前の予感のようなもの。経営者本人にも、十年単位で蓄えてきた商売の勘がある。こうしたものは軽視されるべきではない。データになる前の一次情報として、十分な価値を持っている。

ただ、その直感はそのままでは組織の意思決定に載せにくい。会議でそれだけを根拠に押し通そうとすると、「あなたの個人的な思い」として処理されてしまう。逆に、他社事例を並べて補強しても、自社の現場で再現できる根拠にはならない。数字を一通り作ってみても、その数字が直感を飾るために逆算されただけ、ということが起きる。

ここで持ち帰りたいのが、鈴木さんの仕事の姿勢。直感を捨てない。同時に、直感のままで決めない。「現場の人にはこう見えている」を、「もし本当にそうなら、ここで何が起きるはずか」という仮説に書き直す。そのうえで、何が観察できれば直感は支持され、何が観察できなければ直感は更新されるべきかを、決めるより先に置いておく。

財務モデルや市場調査やPoCは、結論を飾るためにあるのではない。別の説明を削るためにある。売上計画を一点の数字で出すよりも、「どの条件が崩れたら、この計画は成り立たなくなるか」を併記しておくほうが、はるかに意思決定に効く。

科学と経営は、同じではない

ここで、科学と経営を同じものだと言いたいわけではないことも、はっきり書いておきたい。

科学にも、楽な条件があるわけではない。研究費の獲得、雇用、季節の制約、先行発表競争——どれも常にのしかかっている。野外研究なら、同じ条件を完全に再現することすら難しい。それでも、仮説と方法を公開し、他者の批判や追試を受けながら知見を少しずつ更新していく仕組みは持っている。鈴木さんの研究も、その仕組みの上に立っている。

経営は、これとはまた別の制約のなかにある。一回しか起きない局面、競合の動き、資金の制限、時間の制限。同じ市場に同じ条件で二度入ることはできない。実行する人間にも感情と疲労がある。完全な検証が揃うのを待っていたら、その時点で勝負は終わっている。

だから経営における「検証の設計」は、科学のそれとは違う。目指すのは完全な検証ではなく、「次の一歩を踏み出すのに十分な不確実性まで、どう削るか」のほう。全部を確かめてから動くのではなく、ここまで分かったら動く、その動いた後でこの観察が出てきたら考え直す、と決めておく。これが、現場の感覚と数字の検証を両立させる、現実的な落としどころになる。

CFOや経営企画は、説得屋ではない

最後に、自分の役割の話を少しだけ。

CFOや経営企画の仕事を「決裁が下りる根拠資料を整える人」と捉えるのは、半分しか合っていない。承認を得ること自体は手段で、その先にあるのは、組織として下す判断の質を一段上げること。

日々の仕事の多くは、経営者や現場の「言葉になる前の感覚」を聞き取り、それを仮説と願望に切り分けるところから始まる。そのうえで、どの前提が外れたら結論が成り立たなくなるか、を脇に並べておく。撤退条件と追加投資条件は、事業がうまくいっているうちに、先に置いておく。直感を捨てさせる仕事ではなく、現場の感覚と組織の判断を、丁寧に橋渡しする仕事に近い。

結び

本書を読み終えて、自分の手元の事業計画に同じ問いを当ててみたくなった。まだ仮説のまま、検証の設計が置かれていない直感が、いくつ眠っているか。眠らせたまま走り出そうとしている数字はないか。

すぐ答えの出る話ではない。しばらく持ち歩いてみたい。


【来週予告】 来週はラボCFO。生物の進化には「目的」がないということを起点に、長期事業計画というものの形を、もう一度考えてみます。

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