眠っている脳は、経験をどう組み直しているのか──睡眠研究から組織を考える
睡眠が記憶の定着に関わることは、以前から知識として知っていた。睡眠を削ると判断が鈍ることも、自分の経験として感じていた。ただ、その理解は、いま思えばかなり大づかみなものだった。
今回、上田泰己さんの『脳は眠りで大進化する』(文春新書)を読み、そこで触れられていた研究をいくつかたどってみて、その「知っているつもり」が、思っていたほど単純ではなかったことに気づいた。眠っている脳は、昼のあいだに得たものをただ保存しているのではなく、もっと込み入ったことをしているらしい。しかも、その「していること」の中身は、まだ一つの完成した物語にはなっていなかった。
眠っている脳の働きをたどっているうちに、私の関心は少しずつ別の方向へ動いた。覚醒しているときは比較的ばらばらに働いている大脳皮質の活動が、深く眠るあいだには徐波に伴って同期し、そのなかで経験に関わる活動が再生され、組み直されているらしい——ふだんは別々の部署で別々に動いている組織にも、経験や判断の基準を持ち寄って、何を残し何を手放すかを組み直す時間があるのだろうか、と。眠りの科学から、組織について一つの問いが浮かんだ。それを、順にたどっていく。
なぜ眠くなるのか
まず、そもそもなぜ眠くなるのか、という手前の問いがある。長く起きているほど眠気が溜まる。この「眠気が溜まる」という感覚に、分子のレベルで説明をつけようとする研究がある。
上田さんのグループは、2016年の論文(Tatsuki ら, Neuron)で、まず徐波睡眠と覚醒の電気的な特徴を再現する単純な計算モデルを作り、そこから、神経細胞のカルシウム依存性の過分極——ざっくり言えば、細胞が興奮しにくくなる方向へ傾く仕組み——が、睡眠の深さや長さを左右しているのではないか、と予測した。そのうえで21系統の遺伝子改変マウスを作って調べ、関連する遺伝子を壊すと睡眠時間が短くなったり長くなったりすることを示している。ここで確からしいのは「これらの遺伝子を操作するとマウスの睡眠時間が変わる」という観察のほうで、「カルシウムの流れが眠気そのものだ」と確定したわけではない。著者ら自身、眠気を溜める仕組みの正体はまだ分かっていない、と書いている。
その後の研究(Tone ら, 2022)では、CaMKII という酵素の、リン酸化という化学修飾の状態の違いが、覚醒から睡眠への移行と、睡眠の維持とに、別々に効いている可能性がマウスで示された。この酵素は、自分自身に印をつけては消す性質を持つので、上田さんは著書で、覚醒中にがんばった履歴を書き留めては白紙に戻す「紙と鉛筆」のようだ、と説明している。うまい比喩だと思う。ただ、これはあくまで研究者による説明のたとえであって、CaMKII が眠気を文字どおり記録していることが証明された、という意味ではない。そして、ここまではすべてマウスの話で、人間でも同じ分子の仕組みが働いていると確立しているわけではない。
眠っている脳は、経験をどう扱っているのか
ここからが、今回いちばん考えさせられた部分だ。
深く眠っているあいだ、脳のなかでは、いくつかのリズムが時間を合わせて現れる。皮質のゆっくりした大きな波(徐波振動)があり、そのなかに睡眠紡錘波と呼ばれる速い波が入れ子になり、さらに海馬という記憶に関わる領域では、リップルと呼ばれるごく短い高速の波が走る。近年の総説(Staresina, 2024)は、この三つがばらばらに起きるのではなく、徐波が興奮しやすい窓を作り、その窓で紡錘波が皮質の学習ネットワークを部分的に再活性化させ、海馬のリップルがそれと噛み合う、という時間的な協調として整理している。人間でも、てんかんの治療評価のために頭蓋内へ電極を留置した人を対象とする研究(Staresina ら, 2023)で、徐波・紡錘波・リップルが順番に結び合う様子と、それに伴う神経発火や領域間の通信の変化が、直接記録されている。
問題は、その協調が何をしているのか、という解釈のほうだ。有力なモデルは、能動的システム固定化仮説と呼ばれるもので、睡眠中に海馬と皮質が「対話」し、覚醒中に一時的に覚えたことが再生され、皮質側の長期的な蓄えへと移し替えられ、より安定した形へ再編される、という考え方になる。眠っているあいだに、記憶がただ保存されるのではなく、再活性化され、つなぎ直され、置き場所を変えられている、というイメージだ。
ただし、これはまだ有力な仮説であって、完成した事実ではない。23の研究・297の効果量を統合したメタ分析(Ng ら, eLife, 2025)では、前頭部における徐波と高速紡錘波の、精密で強い結合が、記憶の保持と関連することが支持された。ただし、関連は支持されたものの、それだけで記憶成績の違いを大きく説明できるわけではなく、年齢、記憶の種類、脳の部位、紡錘波の周波数などによって、関連の強さは変わる。つまり、結び目があること自体は確からしいが、効果の大きさと、条件によって変わりやすいことには、注意が要る。
さらに、これとは別の角度からの仮説もある。シナプス恒常性仮説(Tononi と Cirelli)は、覚醒中の学習で全体として強まったシナプス結合を、睡眠中に広く調整し直す、という考え方だ。その結果、重要な結合の相対的な差は保たれたまま、次に学べる余地が取り戻される、と説明される。特定の不要な情報を選んで捨てるのでも、すべてを同じ率で弱めるのでもない。この仮説にも批判はあり、仕組みの細部は定まっていない。
押さえておきたいのは、「強めて再編する」話(システム固定化)と「広く調整し直す」話(恒常性)とが、いまのところ別々の仮説として研究されていて、一つのなめらかな物語にはなっていない、ということだ。眠っている脳でも、経験に関わる神経活動が再活性化され、再編や調整が起きているらしい、というところまでは言えても、その全体像は、まだ描き切れていない。
眠っているあいだに、脳は掃除されるのか
睡眠の働きとして、記憶の話と並んでよく語られるのが、脳の「掃除」だ。2013年の研究(Xie ら, Science)以降、睡眠中に脳脊髄液が流れ込み、老廃物を洗い流すという見方(グリンパティック仮説)が広まった。2025年にも、ノンレム睡眠中のノルアドレナリンの波が血管の拍動と脳脊髄液の流れを同期させ、排出を促すという報告(Hauglund ら, Cell)が出ている。
ただ、この話は、そのまま「睡眠は脳のゴミ出しだ」と言い切れるほど固まってはいない。一方で2024年には、脳の組織へ直接注入した小さな分子が脳の外へ運び出される速さを、別の方法で測ったところ、睡眠中と麻酔中にはむしろ低下していた、という結果(Miao・Franks ら, Nature Neuroscience)も報告され、2025年も議論が続いている。ここでは、脳脊髄液が流れ込むこと(流入・灌流)と、脳の組織のなかを物質が移動すること(脳内移動)と、脳の外へ正味として運び出されること(正味排出)とを、分けて考える必要がある。分子の大きさ、自然な睡眠か麻酔か、動物か人か、どの測定法か——条件によって結論は変わりうる。睡眠中に脳内の流体の動きが変わること自体には支持があるが、それがどの物質の正味の排出をどれだけ促すのかは、まだ決着していない、というのが現在の研究状況だ。
脳と企業は、同じではない
ここから企業の話へ移るが、その前に、三つだけはっきりさせておきたい。睡眠は、意思とは関係なく起きる生理現象だ。企業が何を残し何をやめるかは、独立した意思と生活を持つ人の、意思と責任を伴う選択になる。そして、これから書くことは、睡眠研究から導いた法則ではなく、眠っている脳の働きをたどるうちに浮かんだ、読書からの着想にすぎない。
分散して動く時間と、持ち寄る時間
そのうえで、私がひっかかったのはこういうことだ。覚醒時の大脳皮質は、比較的ばらばらに活動している。深く眠るあいだには、徐波に伴って活動が同期し、そのなかで昼に得たものが再生され、つなぎ直されているらしい。企業も、ふだんは部署ごと、役割ごと、専門ごとに、それぞれ別のことをしている。それでいい。ただ、ばらばらに動き続けるだけで、経験や判断の基準を持ち寄って組み直す時間がないと、どうなるだろう。
私自身の実務での観察として言えば、日々の活動は、新しい成果だけを残すのではない。更新されないまま引き継がれる前提、決着しないまま持ち越される論点、役割を終えたのに続いている手続きも、一緒に残していく。これらは、悪意があって溜まるわけではなく、日々動いていれば自然に積もる。これは睡眠研究から証明できることではなく、現場を見てきて感じる、独立した観察だ。
とはいえ、「だから定期的に全員でそろえよう」と急ぎたくはない。脳の同期を無条件に良いことと決められないのと同じで、組織でも、みんなが同じリズムに揃いすぎると、異論が出にくくなり、手放したほうがいいものが、全員が同じ方向を向いているせいで、かえって守られてしまう。求めたいのは全員の一致ではなく、ふだんは別々に動きながら、時折だけ経験と判断基準を持ち寄る、というくらいのリズムだ。企業らしさというものにも、二つの面がある。それを残すからこそ自社であり続けられる、という面と、それを残しているせいで変われなくなる、という面だ。何を残せば自分たちであり続けられるのかと、何を残すと変われなくなるのかは、たいてい同じものの表と裏になっている。
散らばった経験や前提を持ち寄り、何を続け、何をやめるかを議論できる場を設計する。経営企画は、その役割の一部を担える機能の一つだと思う。ただし、経験を持ち寄る主体は、現場を含む組織全体であって、経営企画だけに任せる仕事ではない。経営企画自身が、現場から離れたところで、誰も使わない資料や余計な手続きを増やしてしまうこともある。
残る問い
眠っているあいだにも、経験に関わる神経活動が再活性化され、つなぎ直され、広く調整されているらしい——そのことをたどって、私が企業について考えたのは、結局こういう問いだった。立ち止まらずに動き続けようとする企業は、何を残せば自社であり続けられ、何を残すと変われなくなるのか。その境界を、どこで、どうやって選び直しているのだろうか。私自身、まだ答えを持っていない。
参考文献
- Tatsuki, F. et al. "Involvement of Ca²⁺-Dependent Hyperpolarization in Sleep Duration in Mammals." Neuron 90(1), 70–85, 2016.
- Tone, D. et al. "Distinct phosphorylation states of mammalian CaMKIIβ control the induction and maintenance of sleep." PLOS Biology 20(10), e3001813, 2022.
- Staresina, B. P. "Coupled sleep rhythms for memory consolidation." Trends in Cognitive Sciences 28(4), 339–351, 2024.
- Staresina, B. P. et al. "How coupled slow oscillations, spindles and ripples coordinate neuronal processing and communication during human sleep." Nature Neuroscience 26, 1429–1437, 2023.
- Ng, T., Noh, E. & Spencer, R. M. C. "Bayesian meta-analysis reveals the mechanistic role of slow oscillation-spindle coupling in sleep-dependent memory consolidation." eLife 13:RP101992, 2025.
- Tononi, G. & Cirelli, C. "Sleep and synaptic homeostasis: a hypothesis." Brain Research Bulletin 62(2), 143–150, 2003.
- Xie, L. et al. "Sleep drives metabolite clearance from the adult brain." Science 342, 373–377, 2013.
- Hauglund, N. L. et al. "Norepinephrine-mediated slow vasomotion drives glymphatic clearance during sleep." Cell 188(3), 606–622.e17, 2025.
- Miao, A. et al. "Brain clearance is reduced during sleep and anesthesia." Nature Neuroscience 27, 1046–1050, 2024.
【来週予告】 来週はAIガバナンスの窓から。AIを批評役に置けば、それで判断が安全になるわけではありません。批評するAIの誤りや迎合を、誰がどの基準で確かめ、どこで修正を止めるのか。今回の記事制作で起きた手戻りから考えます。
